主がしてくださったことを語る
2018年11月4日(日)永眠者記念公同礼拝
西岡昌一郎牧師
詩編 78編1〜4節
【マスキール。アサフの詩。】
わたしの民よ、わたしの教えを聞き
わたしの口の言葉に耳を傾けよ。
わたしは口を開いて箴言を
いにしえからの言い伝えを告げよう
わたしたちが聞いて悟ったこと
先祖がわたしたちに語り伝えたことを。
子孫に隠さず、後の世代に語り継ごう
主への賛美、主の御力 を
主が成し遂げられた驚くべき御業 を。
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- キリスト教に限らず、どんな宗教でもそれぞれの神仏に対して、何らかの方法で祈りの手を合わせるのは、なぜでしょうか。それはわたしたち人間が例外なく、いずれ死んでいく存在であるからだと、わたしは思います。とりわけ人の生き死にに関しては、人間の力の限界を超えた世界に属する事柄です。生まれて来る時も、また死んでいく時も、自分の意思や選択、計算通りとは行きません。必ず自分の思いを超えたところがあるものです。たとえ自ら命を断った人であっても、おそらく本当のことを言えば、もっと生きていたかったに違いないのです。しかしそれが叶わないまま、どうすることもできずにいたのだと思います。生き死にだけは、自分の思い通りにはなりません。人間は自分の力ではどうすることもできずに、いずれは死んでいくのです。だから、人は手を合わせ、祈り始めるのです。
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- わたしたちは、その生涯において、不思議な巡り合わせを経て、イエス・キリストと出会い、その信仰へと導かれました。ひとりひとりが主なる神に出会うまでに味わわなければならなかった悩み、悲しみ、苦しみが人知れずありました。ひとり本当に悩まなければ、けっして考えることのなかった大切なこと、大事な人生への視点を見出していかれた方もあったでしょう。先行きが見えず、もがくような日々にあってこそ、ようやくたどり着くことのできる神さまの働きがあることを知るのです。
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- きょうの永眠者記念のひとときは、かつての懐かしい人との記憶を呼び起こす時であると同時に、主がわたしたちに対してしてくださったことを覚えて、それを主の恵みとして感謝をもって語る時ともなります。
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- 詩編78編の言葉には、「わたしは口を開いて箴言を、いにしえからの言い伝えを告げよう。わたしが聞いて悟ったこと、先祖がわたしたちに語り伝えたことを。子孫に隠さず、後の世代に語り継ごう。主への賛美、主の御力を。主が成し遂げられた驚くべき御業を。」(2〜4節)とあります。
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- ここで詩人は、われわれ人間がしたことではなくて、神さまがなさったことを聞いて悟り、主の御業を語り継ごうと言います。これが、わたしたちの信仰の証であり、信仰の告白です。自分が何をしたかを語るのではありません。主がわたしたちに何をなさってくださったのかを語り、その主の御力を伝えるのです。
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- わたしたちは、ひとりで主なる神を信じているのではありません。共に主を信じて、祈り、祈られる信仰の仲間がそばにいて、信じています。わたしたちは、信仰の友、さらに言えばキリストの体なる教会と巡り合って信じていくのです。それらの出会いが何らかの形で与えられて、わたしたちは信仰へと導かれていきます。神さまはそのような人との出会いを通して、わたしたちの間で働いてくださいます。
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- ひとりだけで神さまを知ることはできません。神さまは、そのために信仰の友、兄弟、姉妹をわたしたちのために用意してくださいました。その人たちなしには、今の自分は成り立たたないということ、すなわち、あなたなしには成立しない人生を生きていくところに、神さまがなさっている不思議な御業の働きがあります。
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- だから、わたしたちは、この教会の先人たちの信仰を思い起こして、そこに生きて働かれた神さまの御業の働きを告げ知らせ、語り伝えます。そして後の世代に、いつまでも、これを語り継いでいくのです(4節)。