苦悩の谷からの望み
2012年6月10日
三吉信彦牧師
ホセア書2章16~25節
それゆえ,わたしは彼女をいざなって
荒れ野に導き,その心に語りかけよう。
そのところで,わたしはぶどう園を与え
アコル(苦悩)の谷を希望の門として与える。
そこで,彼女はわたしにこたえる。
おとめであったとき
エジプトの地から上ってきた日のように。
その日が来ればと
主は言われる。
あなたはわたしを,「わが夫」と呼び
もはや,「わが主人(バアル)」とは呼ばない。
わたしは,どのバアルの名をも
彼女の口から取り除く。
もはやその名が唱えられることはない。
その日には,わたしは彼らのために
野の獣,空の鳥,土を這うものと契約を結ぶ。
弓も剣も戦いもこの地から絶ち
彼らを安らかに憩わせる。
わたしは,あなたととこしえの契りを結ぶ。
わたしは,あなたと契りを結び
正義と公平を与え,慈しみ憐れむ。
わたしはあなたとまことの契りを結ぶ。
あなたは主を知るようになる。
その日が来れば,わたしはこたえると
主は言われる。
わたしは天にこたえ
天は地にこたえる。
地は,穀物と新しい酒とオリーブ油にこたえ
それらはイズレエル(神が種を蒔く)にこたえる。
わたしは彼女を地に蒔き
ロ・ルハマ(憐れまれぬ者)を憐れみ
ロ・アンミ(わが民でない者)に向かって
「あなたはアンミ(わが民)」と言う。彼は,「わが神よ」とこたえる。
コリントの信徒への手紙一 1章22~24節
ユダヤ人はしるしを求め,ギリシア人は知恵を探しますが,わたしたちは,十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。すなわち,ユダヤ人にはつまずかせるもの,異邦人には愚かなものですが,ユダヤ人であろうがギリシア人であろうが,召された者には,神の力,神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです。
- 私たちの教会の今年のテーマは「希望」です。明日への展望が描けない時代状況の中で,教会に与えられた希望とはどういうものでしょうか。ローマ書8章24節によると,見えるものに対する希望は希望ではない,とあります。確かに,見えるもの=実現しているという論理的な意味ではその通りです。でも,パウロの描く望みとは「神の子とされること」「つまり体が贖われること」であって,「神の国を相続する」「つまり神の国に入る」ことこそが望みなのです。ただ問題は,今は望むべくもない状況で,なお望むことができるか,その根拠は何かが大事です。
- 預言者ホセアは,「アコルの谷を望みの門とする」という神の約束に希望を持ちました。「アコルの谷」とは,ヨシュア記7章,滅ぼすべき敵の財宝をかすめ取ったアカンが,家族,財産もろとも投げ込まれて抹殺された谷で,アコル(荒廃)の地とされたのです。その500年後,預言者ホセアがこのアコルの谷に望みの門を見たのです。当時北王国は豊かさを誇り,カナンの豊穣の神バアル礼拝に陥っていました。繁栄の極みのただ中で,ホセアは北王国の滅びを見抜きます。しかしホセアの偉大さは,滅びのその先を見据えたことです。それが今日の「アコルの谷を望みの門とする」という預言であります。
- アコルの谷とは,エルサレムの山々から死海に降る深い谷で,まさに地獄への門のような光景です。神はイスラエルをその荒れ野に誘って懇ろに語りかけるというのです。イスラエルにとっては荒れ野は「神と出会った処女地」,若き日の花嫁として神に迎えられた地なのです。今一度,神と共にアコルの谷に立つとき,そこは望みの門となると。
- このアコルの谷は,私たちの文明社会の象徴です。豊かさや便利さを追求した結果,大地が荒れ,自然は損なわれ,生きとし生けるものが死滅の危機に瀕している。私たちは,アコルの谷にたたずんでいます。目の前には津波で,原発事故で,荒れた大地,住む人のいない町並みが見えます。でもそこには,ホセアの仰ぎ見た望みの門が立っています。主イエス・キリストの十字架です。そこから,イエス・キリストの父なる神の慈しみの声が,懇ろに語りかけられる声が聞こえてきます。
- あの津波に一切が流された中で,瓦礫の片隅に一輪の梅の花が咲いた。その映像を見て,いたく感動を覚えました。滅びのただ中の一輪の梅の花,それが神の慈しみのプレゼント,荒れ野に打ち立てられた十字架と思えたのです。あの一輪の花に希望を抱いた者が,新しく立ち上がって復興への道を歩み始めたように,私たちもこの時代状況のただ中で,一輪の花を咲かせましょう。自分の庭に小さな一本の苗木を植えましょう。この荒れた時代社会の中で,「教会」こそが希望の一輪の花なのです。それを信じましょう。十字架に生きる者は,周りに信仰の花,証しの業を,再生のための命の種をまいています。富津の「望みの門」の設立に千葉教会の先達者が関わり,今も奉仕の業が続けられています。今日は,永眠者を覚える礼拝。この十字架に希望を抱いて生き抜き,今や,その体が贖われ,御国を受け継ぎ,御許に憩うておられる。私たちもその後に続きましょう。アーメン