岩の上に建てた家
2015年7月26日(日)
三吉信彦牧師
マタイによる福音書 7章24~29節
「『そこで,わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆,岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。雨が降り,川があふれ,風が吹いてその家を襲っても,倒れなかった。岩を土台としていたからである。わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わない者は皆,砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。雨が降り,川があふれ,風が吹いてその家に襲いかかると,倒れて,その倒れ方がひどかった。』
イエスがこれらの言葉を語り終えられると,群衆はその教えに非常に驚いた。彼らの律法学者のようにではなく,権威ある者としてお教えになったからである。」
- 今日の「岩の上に建てた家と砂の上に建てた家」はとても分かりやすい話です。昔,教会学校で「愚か者が家を建て…砂の上に家を建て…雨が降って,川となり…その家は倒れた。バシャン!」という歌があり,(バシャンと)両手を横にたたいた仕草が子ども達の間で受けました。ただ,岩の上に建てた方の歌詞は覚えていません。人間は良いことより,悪い方に心惹かれる傾向があります。しかし,これは実際に今,日本の各地で起きていること。山と海が近く,平野部の少ない地形が,土砂災害,洪水などを引き起こす。儲け主義の開発業者,手抜き工事など,まさに愚か者の仕儀でしょう。
- この譬えでは,もちろん家の建て方ではなく,主の御言葉を聞いて行うことが問われています。聞くだけの人の土台は弱く崩れやすい。聞いて実践する人は困難が襲ってきても土台がしっかりしているので容易に崩れないというのです。一方,「わたしのこれらの言葉」とは,5章からの山上の説教を指しています。右の頬を打たれたら……マタイによる福音書 5章38~39節
「あなたがたも聞いているとおり,『目には目を,歯には歯を』と命じられている。しかし,わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら,左の頬をも向けなさい。」,汝の敵を愛せよ!マタイによる福音書 5章43~44節
「あなたがたも聞いているとおり,『隣人を愛し,敵を憎め』と命じられている。しかし,わたしは言っておく。敵を愛し,自分を迫害する者のために祈りなさい。」」これらの言葉を聞いて行う? ちょっと考え込んでしまいます。できないよ,と。でも私は結論的に,これらの主の言葉は行うことが出来ると理解しています。 - その理由1,山上の説教のまとめが7章7節以下マタイによる福音書 7章7~12節
「求めなさい。そうすれば,与えられる。探しなさい。そうすれば,見つかる。門をたたきなさい。そうすれば,開かれる。だれでも,求める者は受け,探す者は見つけ,門をたたく者には開かれる。あなたがたのだれが,パンを欲しがる自分の子供に,石を与えるだろうか。魚を欲しがるのに,蛇を与えるだろうか。このように,あなたがたは悪い者でありながらも,自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして,あなたがたの天の父は,求める者に良い物をくださるにちがいない。だから,人にしてもらいたいと思うことは何でも,あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である。」にあります。求めなさい,そうすれば与えられる。探しなさい,そうすれば,見つかる……自分の子どもに悪いものを与える親はいない,と。主はこれまでの教えを「良いもの」として与えておられます。さらに,12節の「人にしてもらいたいと思うことは何でも,あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である」とあります。いわゆる黄金律です。(主の御言葉を聞いて「行う」とは,)出来ないと決めつけず,求めよ,さらば与えられんという「約束」を信じて行うことではないでしょうか。 - ユダヤ教のラビたちも「人からして欲しくないことを人にするな」と否定命令で教えました。人間は否定的な方に惹かれる傾向があると申しました。否定命令は肯定命令よりも強く響いて,結果として,否定命令は何もしないという,為さぬ罪を引き起こすのではないでしょうか。さらにパウロが「『貪るな』と言われると一層貪りの罪を引き起こすローマの信徒への手紙 7章7~8節
律法によらなければ,わたしは罪を知らなかったでしょう。たとえば,律法が「むさぼるな」と言わなかったら,わたしはむさぼりを知らなかったでしょう。ところが,罪は掟によって機会を得,あらゆる種類のむさぼりをわたしの内に起こしました。律法がなければ罪は死んでいるのです。」と申しましたことも,心に留めておきたいことです。その意味で,主イエスの「人にもせよ」は,否定から肯定へと,心の向きを変えさせる力があるのではないでしょうか。 - もう1つ,岩の上に家を建てる話は,ペトロのフイリボ・カイサリアでの告白マタイによる福音書 16章13~19節
イエスが言われた。「それでは,あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」シモン・ペトロが,「あなたはメシア,生ける神の子です」と答えた。すると,イエスはお答えになった。「シモン・バルヨナ,あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは,人間ではなく,わたしの天の父なのだ。わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは,天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは,天上でも解かれる。」を思い起こさせます。「あなたはメシア,生ける神の子です」。主は「この岩の上に教会を建てよう」と約束されました。岩とは信仰告白です。結局,この7章の「岩の上に家を建てる」も16章の告白を視野に入れているのです。マタイはペトロを重要人物と描きますが,(ペトロは)「動かざること岩のごとし」とはほど遠い印象の人物です。ペトロとは岩の意味ですが,いっも揺れたり,ぶれたりの連続でした。私は若い頃,不安と焦りの虜でした。前向きに変わったのは40才過ぎでした。好善社のワークキャンプに参加し,「人から1マイル強いられるなら,もう1マイル行きなさいマタイによる福音書 5章41節
だれかが,1ミリオン行くように強いるなら,一緒に2ミリオン行きなさい。」との御言葉が与えられ,労働と黙想の日々を過ごす中で,私は変えられました。行かないより,もう1マイル行ってみる,するとそこに新しい世界が開けてくるのです。求めよ,探せ,門をたたけ,との御言葉に信頼して,あの黄金律を日々に実践して参りましょう。アーメン